たぬきの部屋

社会人野球を中心に野球について元プレーヤー、スコアをつけながら感じたこと、見習い審判員の視点などからつらつら書いています。

はじめまして。

はじめまして、のっちです。この度、ブログを始めることとしました。以前から知人のブログを見て、自分もやってみたいなぁと思っていましたので、このタイミングで始めることとします。

プロフィールにもありますが、社会人野球を中心に野球について少しずつ書いていければと考えておりますので、忌憚のない意見をいただければ幸いです。

初投稿ということで、今回は私自身の野球歴について書いていこうと思います。

・野球を始めたのは小学校3年生

→当時のポジションはサード、ショート、ときどきピッチャー。

→5年生の冬に右肘を剥離骨折。4ヵ月ノースロー。

・中学は軟式野球部に所属

→ポジションはセカンド、サード、ショート。

→2年生の冬の大会で神戸市5位に入り、県大会へ出場。神戸市大会の準々決勝で飯迫恵士(神戸国際大附ー立教大ー新日鐵住金かずさマジック)と対戦。

・高校でも野球を続ける。

→初のベンチ入りが2年秋となかなか結果を残せず。

→2年秋と3年春の県大会に出場。秋は神港学園にコールド負け。春は市立尼崎に敗れるもベスト16に入り、夏の第1シードを獲得する。

→夏は3回戦で西脇工業に敗れ引退。代打で出場するも最後の打者となってしまう。

→殿川慎哉(神港学園三菱重工神戸高砂)、宮田康喜(姫路南高ー新日鐵住金広畑)、古都成輝(須磨学園大阪ガス)と対戦経験あり。

・大学では準硬式野球部に所属。

→2年の春リーグ戦で外野手ベストナイン盗塁王(12個)を獲得する。

→2年の春リーグ戦の最中に、椎間板ヘルニアが発覚するも痛み止めを飲みつつ試合には出場する。

→3年の秋リーグ戦でヘルニアが限界を迎えたため、プレーヤーとして続けることを諦め、学生コーチとして野球部に所属。

野球歴としては12年ほどですが、目立った成績を残すことなく終わりました。しかし高校で野球をやめてしまう選手が多い中で大学でも準硬式ではありましたが体育会の部活動として野球を続けられたことは僕にとって大きな財産となりました。

今回は初投稿ということで自分語りが多くなりました。

次回は社会人野球に没頭するようになったきっかけについて書かせてもらおうと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。